2009.02.24

ありがとうばあちゃん

2月16日、無事に母が退院しました。
ほっと一息・・・・と思ったのも束の間
2月19日に母から一本の電話が。。。

「九州のばあちゃんの脳動脈瘤からちょろっと出血しているみたい」
と連絡が。
次にかかった電話では
「ばぁちゃんあと一時間もつかどうかと医者から言われた」
との連絡・・・・
そして最後の電話では
「12時50分に息を引き取りました」
と突然の訃報。

「九州のばあちゃん」とは私の母方の祖母で
九州に住んでいます。
2年ほど前に脳動脈瘤が発見されましたが
80歳を過ぎていたため手術はしませんでした。

女4人を育てましたが皆お嫁に行ってしまったため、同居家族
は夫であるじいちゃんのみでした。
そのじいちゃんは病気の為、何年も前からずっと病院に入院しています。

1人残された家で寂しさのためかばぁちゃんは痴呆になってしまいました。
1人で家にいるのは危ないとのことで3年ほど前から老人ホームで生活するようになりました

18日、脳動脈瘤の定期健診の為老人ホームと同じ敷地にある病院にて受診。検査の結果出血はしていませんでした。
この日のばぁちゃんは気分も体調も良いと言うことで、同病院に入院
しているじいちゃんに会いに行ったそうです。

19日、朝起きたら頭が痛いとのことで、ホームの職員さんと一緒に歩いて病院へ。。。
検査の結果、脳動脈瘤からちょこっと出血してるとのことで、医師から説明を受けている最中に脳動脈瘤が破裂。すぐに意識がなくなり、あっという間に心停止。
そのまま帰らぬ人となってしまいました。

母はかけつけることが出来ないので、高知とさいたまに住んでいる叔母さん達がかけつけてくれました。

その次の日の20日がお通夜で21日がお葬式、、、、誰も同居していないということで納骨まで済ませることに。

私はパパとリナを置いて父と弟と20日から九州へ行ってきました。

対面したばぁちゃんは今にも起きてきそうなくらいつやつやとふっくらした顔をしていました。実は私、この歳になるまで一度も亡くなった人を見たことがなくお骨を拾うことも経験したことがありませんでした。

正直緊張したし、怖かったです。怖かったのは死を受け入れられるかと言う事で遺体と対面するまでは信じられませんでした。

ばぁちゃんは孫達をすごく可愛がってくれました。特に私は初孫だったのでばぁちゃんと過ごした時間は他の孫達より長く、今まで過ごしてきた中での節目節目でいつも励ましたり、優しい言葉をかけてくれました。

特に結婚した時と利奈が産まれた時はそれはそれは喜んでくれました。流産したときは便箋何枚にも及ぶ手紙を送ってくれたり辛いときはすぐに気付いてさり気なく連絡してくれ励ましてくれました。

もう少し暖かくなったら会いに行きたいなぁと思っていた矢先だったのですごく残念でしたが、一度利奈を会わせていたので会わせていて本当に良かったなと思いました。

お通夜の日はばぁちゃんと一緒に皆で過ごしました。お骨も拾ってあげることが出来て本当に良かったです。

利奈にもばぁちゃんの事を説明しました。

「利奈はお空から来てママのポンポンに入ったでしょう?九州のおおばぁばは大人になっておばぁちゃんになってまたお空に戻ったんだよ、そして戻って順番が来たらまた赤ちゃんになって、誰かのママのポンポンに入るんだよ」と言うとその後は「九州のおおばぁばはお空に行っちゃったんだって」という様になりました。

3年前、利奈を出産して人の誕生と言うものを経験出来、今回人の死というものを経験し、色々考えさせられました。今ある生活や関わる全ての人に感謝し大切にしていきたいなぁと思います。現実に生活していくとなかなか難しい面もあると思いますが人の一生って終わってみるとあっという間ですね。一瞬一瞬を大切にしなきゃなぁと思いました。

そんな事を教えてくれたばぁちゃんに感謝です。

ばぁちゃん、ありがとう。ばぁちゃんが大好きでした。ばぁちゃんの作ってくれたおいものおまんじゅうや粕汁、そしてお弁当の味、「あなたが幸せだとおばぁちゃんも嬉しい」とよく言ってくれていた時の笑顔と言葉が忘れられません。これからはお空から見守っていて下さいね。

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